こんにちは、ブロガーのユウマ(@yuLog_jp)です。

今話題の恋愛映画と言われている『君の膵臓をたべたい』
原作が2015年6月に出版され、作者”住野よる”氏が描き、既に映画化・アニメ化となった話題の作品です。

私は”住野よる”作品が大好きで、『君の膵臓をたべたい』はもちろん過去に出版された作品(かくしごと他)は全て読ませて頂いています。
基本原作が一番好きなので映画はあまり見ない派なのですが、、アニメ化になった山内桜良が可愛い!そんな理由だけでアニメも見てきました。

作中、【好き】という言葉が出てこない作品ですが、恋愛映画にも捉えられるような...そんなキミスイを解説し、”「僕」と「桜良」の関係”や”桜良の名言集”について紹介していきたいと思います!

 

ストーリー

彼女は言った。

「君の膵臓をたべたい」

春。

まだ遅咲きの桜が咲いている、4月のこと。

他人に興味をもたず、いつもひとりで本を読んでいる高校生の「僕」は、

病院の待合室で、一冊の文庫本を拾う。

手書きの文字で『共病文庫』と題されたその本は、

天真爛漫なクラスの人気者・山内桜良が密かに綴っていた日記帳だった。

日記の中身を目にした「僕」に、

桜良は自分が膵臓の病気で余命いくばくもないことを告げる。

それは、家族と医師以外には病気を隠している彼女にとってただひとり、

秘密を共有する相手ができた瞬間だった。

最期の日が訪れるまで、なるべくこれまでどおりの日常生活を送りながら、

やりたいことをやり、精一杯人生を楽しもうとする桜良。

そんな彼女の奔放な行動に振り回され、「僕」の心は少しずつ変化していく。

ーそれは、「僕」の春の思い出。

彼女の一生の思い出。

劇場アニメ「君の膵臓をたべたい」オフィシャルサイトより引用

主人公である「僕」と、膵臓の病気を抱えながら共病文庫を綴る「山内桜良」が主役となります。
余命が長くないと知った主人公は、桜良が”死ぬ前にやりたいこと”に付き合うこととなり、お互い特別な関係となり、互いに尊重し合いながら日常を描く、そんな物語です。

 

登場人物


劇場アニメ「君の膵臓を食べたい」オフィシャルサイトより引用

・「僕(志賀春樹)」
友人や恋人などの関わり合いを必要とせず、人間関係を自己完結する。
ある日、病院で桜良の「共病文庫」を見つけ、山内桜良との交流により、人を認め、人と関わり合う努力を始める。

・「山内桜良」
よく笑い、元気で、表情豊かな少女。膵臓の病気の為、「僕」と会った時には余命1年になっていた。病気になった自分の運命を恨まないと決めた為、日記のタイトルを「闘病日記」の代わりに「共病文庫」と付ける。

・「滝本恭子」
桜良の友人。桜良と「僕」の交流を快く思わない。桜良の死後、「僕」の初めての友人となる。

・「ガムをくれるクラスメイト」
教室の掃除機を通して関わりを持った。清々しいほどの無粋な物言いをするが素直。人との交流を決意した「僕」の友人となる。

・「学級委員(タカヒロ)」
桜良の元彼。「僕」と桜良の仲を疑っている。

Wikipediaより引用

 

タイトル『君の膵臓をたべたい』の意味は?

タイトルだけ聞くと”グロ映画”や”気持ち悪い”と思われてしまう印象があるこのタイトル。
作中の話の中でも本タイトルは使用されておりますが、このタイトルの意味は以下の言葉がキーワードがカギとなっています。

「私はもうとっくに君の魅力に気がついているからね。

死ぬ前に、君の爪の垢でも煎じて飲みたいな。って書いてから気付いたよ。

そんなありふれた言葉じゃ駄目だよね。

私と君の関係は、そんなどこにでもある言葉で表すのはもったいない。

そうだね、君は嫌がるかもしれないけどさ。

私はやっぱり。君の膵臓を食べたい。」

双葉社『君の膵臓をたべたい』より引用

普通なら「君の爪の垢を煎じて飲みたい」と表現すべきでしょうが、二人は友人や恋人では表現しにくい特別な関係だからこそ、表現すべき言葉が『君の膵臓をたべたい』だったのではないでしょうか。

私も読み終える前までは、なぜこのタイトルなのか疑問に思っていましたが、読み終えた時はスッキリ納得がいくタイトルで涙ぽろぽろでした。。

「僕」と「桜良」の関係

僕と桜良の会話の中で【好き】という言葉が出てこない本作ですが、恋愛感情はなかったの?と気になる描かれ方をされています。
作中でも「特別な関係」と表記されている為、明らかにはなっておりません。

ここでいう「特別な関係」とは、友達や恋人という言葉では表せない関係のことを指しています。

まず、桜良の病気は、家族・医者・僕以外が知っていません。

桜良が膵臓の病気を持ったことで、家族は日常を取り繕うのに必死になり。
医者は常に現実を突きつける。
もし、桜良の友人に病気を告げると、きっと心配して毎日が日常ではなくなる。

そんな中、人間関係を必要とせず自己完結する僕と出会って、僕が桜良にとっての日常を与えてくれるようになる。
性格が正反対の二人だからこそ互いに惹かれ合う部分があったのでしょう。

 

恋愛感情があったかどうかですが、私は好きという恋愛感情はあると思っています。

理由は、物語最後に出てくる『君の膵臓をたべたい』のやりとり。
「好き」という言葉を使っていませんが、特別な関係な二人だからこそ通ずる「好き」の代わりとなる言葉ではないでしょうか。

または、性格が正反対の二人だからこそ「君のようになりたい」とも捉えることができるでしょう。

他にも、博多旅行の泊まったホテルでの”真実と挑戦ゲーム”の「私はクラスで何番目に可愛い?」や「私の可愛いと思う所を3つ上げるとすると?」等など、匂わす言動はありましたね。
(普通の男子高校生であれば、ドキドキするシチュエーションですよね...笑。見てて超楽しい。笑)

 

桜良の名言集

劇場アニメ「君の膵臓を食べたい」オフィシャルサイトより引用

一見恋愛映画にも思える本作ですが、本作の見どころは、【生きているコト】を改めて考えさせられる作品だと思います。

個人的にオススメする名言集を集めてみました。
(双葉社『君の膵臓をたべたい』より引用)

「偶然じゃない。私達は、皆、自分で選んでここに来たの。

君と私がクラスが一緒だったのも、あの日病院にいたのも、偶然じゃない。運命なんかでもない。

君が今まで選んできた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの。

私達は、自分の意思で出会ったんだよ。」

 

「私も君も、一日の価値は一緒だよ」

 

「人間は、相手が自分にとって何者か分からないから、友情も恋愛も面白いんだよ。」

 

死に直面してよかったことと言えば、そうだね。
毎日、生きてるって思って生きるようになった。

 

「生きるってのはね、きっと誰かと心を通わせること。

そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ。

誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手を繋ぐ、誰かとハグをする、誰かとすれ違う。

それが、生きる。

 

余談:パンツに隠されたナゾについて

*ネタバレを含みます

 

完全なる余談ですが一点気になった点(スッキリした点)、”パンツのナゾ”について少し。笑

アニメ版キミスイ物語中盤〜後半あたり、「僕」が桜良の家でシャワーを浴びてパンツを借りたシーン。
アニメ版では、「父のパンツ」。
原作では「兄のパンツ」と表記していました。

アニメ版キミスイを見に行くと、来場者特典として、『父と追憶の誰かに』という住野よる描き下ろし短編小説が貰えます。

原作では、「兄のパンツ」であったのに、なぜアニメ版は「父のパンツ」と不思議に思っていましたが、『父と追憶の誰かに』にナゾが隠されていました。
(『父と追憶の誰かに』の内容はキミスイの未来を描いたエピソードです。)

未来の僕(春樹)と謎の若い女性が連絡を取り合って会っているシーンから始まり、春樹の娘(ふゆみ)とその友達(あんず)が春樹の後を付ける...というシーンがあります。
行き着いた先はある人のお墓なのですが、そこで春樹がふゆみに若い女性を紹介するシーンでこう言います。

「このお墓に眠っている人の、お兄さんのお嬢さん(山内良佳)なんだ」と。

つまり、桜良のお兄さんの娘

 

・・・・・や、やられた。
キミスイの未来を描いたエピソードと知らずウキウキ違う作品として読んでいたのに、、というインパクトもありましたが、こんな伏線があったとは。。

ふと疑問に思ったパンツがこんな所で回収されるとは思っていませんでした。。

『父と追憶の誰かに』の本編が気になる方は、是非お早めに劇場に足を運んでみて下さい!

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